SIerに7年いて幸せで染まりかけたのに、年収1000万を手放してWeb業界で本当にやりたかったこと(前編)

f:id:tai-hey:20200102175043p:plain※2018/12/26 少し内容をブラッシュアップしました。

この記事は、#しがないラジオ 2 Advent Calendar 2018 - Adventar の21日目の記事となります。

私は プレイド のエンジニア、大平 (@Victoria_Peak_) と申します。 7年勤めた野村総合研究所を辞め、2018/07〜現在まで プレイド で勤務しています。

Kaz_Shio / SIerと自社開発 エンジニアのリアル:デジタル人材の探究 (@Victoria_Peak_) | Twitter

と申します。

adventar.org twitter.com

はじめに

投稿のきっかけと動機

私は今年の6月に野村総合研究所(以下NRI)を退職してスタートアップでエンジニアとして働き始めました。 はじめにメンターとしてついてくださったのが「gamiさん」

twitter.com

でした。その時はgamiさんはしがないラジオをやっている、SEからWeb系に転職って同じ境遇だなあと思っていたくらいでした。 今回弊社でも社内のEngineer Blog と、PLAID Advent Calender のブログとして一つ書き、なにか個人的に記載するネタを、ということでこの退職エントリ的なものを書こうと思い執筆に至りました。

tech.plaid.co.jp

qiita.com

今までしがないラジオは聞いたことなかったのですが、SIer脱出マニュアルはこれを機に読ませていただきまして、共感する箇所が多々ありました。どうSIerから転職するかとか、転職のためにどのような活動を行うべきかという観点では他のブログなどで多く語られているかと思いますので、今回はなぜSIer向きで幸せだったのにやめるまでの決意に至ったかの考え方に焦点を当てたいと思います。



本連載の構成と前編について

エントリの構成は下記の通りです。
- 前編 (NRI〜転職決意まで) ※本エントリ
- 中編 (退職〜プレイド入社まで)
- 後編 (転職後〜現在まで)


本連載は、私が自身の本当にやりたいことに気づき、転職してwebエンジニアになり、1年と少しが経つまでの体験談を綴っていきます。昨年は転職含め怒涛のように環境が変わっていきました。恵まれた大企業の環境から個人の技術力が勝負のwebエンジニアとしてスタートアップに飛び込み、他のことが手に付かないほど業務に四苦八苦しておりました。社会人になってから転職後はおそらく私の社会人人生で一番長く、苦労した体験になったと思っています。

前編は新卒で入社したNRI時代から始まり、その中でキャリアをどう見直し、何をきっかけに転職を決意したのかを綴っております。

私はSIerに7年も在籍していて給料もよかったですし、このままずっと定年まで会社にいるのかなと思っていましたし、幸せでした。そんな私が30歳目前で転職(転職先はまだ弊社に決まっていませんでしたが先に退職しました。)をした理由と経緯についての一つの実例として読んでいただければと思います。ちなみに退職理由も前職に説明して温かく送り出していただいていますので、ご安心ください。。


対象読者

  • エンジニア・ビジネスサイド問わず、30代未経験でレーンチェンジを考えている方
  • SIerでSEからWeb系に転職を考えている方
  • SEでも幸せな路線を探している方
  • ITコンサル志望の方
  • SEで技術が好きな方

1.文系学部生から技術を身につける(SE1年目〜3年目)

入社当初、周りは優秀な同僚ばかり

就活当初、私立文系の学生(経済学部)でコンサルタントを目指していました。コンサルタントといっても、戦略・業務・IT・会計etc..など職種分類がたくさんあります。私はコンサルタントの中でも、組織の仕組みや構造を改善することにフォーカスしたかったので、IT業務コンサルを目指すことにしました。コンサルタントとして大成するためには、まず技術を習得するべきだと思い、技術が身につき優秀な社員が多いと聞きNRIに入社しました。同期を見てみると文系学部卒の私からしたらプログラミング言語って何?状態から始まったので、習得スピードがあまりでなかったのですが、周りの理系院生の同期たちは研修や業務の習得スピードが早く、劣等感を感じていました。その辛さから今考えてみると、文系学部生→IT企業でSEというのは一種のレーンチェンジだったのかもしれません。

大企業の場合は育成担当や部としても育成計画を立てるため、手を動かせるSEとして一人前にさせよう、という社内の方針もあって、開発(COBOLでしたが、、)や本番作業などを経験させていただきました。初心者なりにもITというものがプログラムやデータの作りが肝になること、一緒に働いていた手を動かせるパートナーさんやNRI社員はとても印象深かったことを今でも覚えています。将来についても疑いはなく、いつかはプログラムやデータを自在に操り、手を動かせる人材になれると思い業務に励んでいました。

目の前の業務をこなすことで精一杯

目の前の業務をこなすことが不安を取り除くことが第一優先で、作業内容も2年目からはマネジメント業務(パートナーさんの開発やテストの管理など)がほとんどになってくるのですが、2〜3年目くらいまではDBの移行作業や本番データのパッチ当て(データの更新作業)、開発環境の調査など手を動かせることがありましたので、技術を身につけることにあまり違和感を覚えていませんでした。

ただ、技術を身につけるという意味だと途中まではあっていたのですが、1年目以降、ものづくりが自分でできる & プログラムを作る、という面では全く経験していないことに少し違和感を持ち続けながらも、目の前の業務に精一杯でした。

2. SEとして一人前になる(SE4年目〜6年目)

SEとしては順当に経験を積む

そんな違和感を持ちながらもSE3年目までに2プロジェクトを経験しました。3つ目の金融系プロジェクトは4年ほど長く経験するプロジェクトとなり、順当にSEとしては経験を積んでいきます。給料も上がっていくし、仕事としても任される範囲の規模も大きなものになっていくので、成長している実感があり充実していました。

業務内容は本番障害の緊急対応や、超大規模(最大数百人規模)だったプロジェクトのライブラリ管理担当として7〜8つもあるサブシステムの開発調整を行ったり、複数サブシステムにまたがる開発の顧客への説明資料の作成や仕様やシステム設計のとりまとめを行ったりしました。IT初心者だった私がプロジェクトの中核を担うまでに貢献できるまでになっていたので、安心感を覚えていたのがこの頃でした。また、プロジェクト全体のモジュールの構成変更などを考えて推進することを経験したことにより、プログラムの構造まで携われていることに満足していました。このまま定年までいくのかとまだ疑ってなかったですし、幸せでもありました。

3. G's academy でWeb業界にふれる(SE6年目後半〜7年目前半)

違和感を取り戻すために行動する(6年目後半〜7年目前半)

そんな中、プロジェクトとしても落ち着いている時期で、仕事に余裕がでてきましたので、目の前の業務よりも将来像を考えるようになりました。その考察の中で私はやっぱりプログラミングができていないことの違和感を再度思い出します。社内のプログラミング関連の研修を受け出しましたし、自分でも集中的にやるべきだと思って自費で数十万払い、まずは普通のプログラミングスクール(Java silverくらいまでの授業)に通いはじめました。平日の日中は業務、夜はプログラミングスクールで体力的にもしんどかったですが、プログラミングできるようになりたいという思いが強く、通うことができました。プログラミングに関して少しだけ理解が深まりましたが、ものを作れるレベルかというとそうではなく、演習をなぞるレベルにとどまっていました。プロダクトを作れるようになるとまではいきませんでしたので違和感が取り切れていませんでした。

G's academy でWeb業界・技術に出会う(7年目の後半)

他にもプロダクトを作れるようになるプログラミングスクールはないかと探し始めました。そこで出会ったのが「G's academy」です。

私はこの Dev 9期生として試験に合格し、通い始めます。今まで会うことのなかった様々な人や技術との出会いがあり、大きな人生の転換点となります。

https://gsacademy.tokyo/gsacademy.tokyo

HTML、CSSの基礎からJavaScriptPHP、Laravelなど毎週土曜日に授業が行われ、木曜日までにその技術や習っていない技術でも自由に取り入れて課題を作成します。また出てくる技術もWeb業界では一般的なのかもしれませんが、今まで関わったことのない技術ばかりだったので、毎週ワクワクしていたのを覚えています。この時はまさにプロダクトを作る、という私の7年間解消できなかった違和感を解消できそうと思いましたし、とても楽しい期間となりました。また、金曜夜の徹夜でプログラミングする合宿に参加するなど、ほんとうに夢中になってコードを書き続けました。

4. 本当にやりたかったこと (構造や処理を考えるワクワク感)

NRIで行っていた業務内容との違いに気づく

G's academyで講師のWeb系のエンジニアさんと話す機会やLTを聞く機会が多くなり、SE(NRIで私が行っていた業務)とWeb系のエンジニアで大きな違いがあることに気づきました。

  • SE:構築した後の「管理(設計書や顧客調整やプロジェクトマネジメント)」や「顧客の業務」をメインに業務を行う
  • Web系:「構造(アーキテクチャ)」または「処理(プログラム)」についてメインに業務を行う

toBでの話。toCは顧客=ユーザーの利用となります。

PLAID Engineer Blog の記事でも記載したのですが、どのシステムも構造(アーキテクチャ)、処理(プログラム)、管理(設計書や顧客調整やプロジェクトマネジメント)、「顧客の業務」、「生み出す価値」で構成されると考えています。

tech.plaid.co.jp ※2.1 価値創造のためのシステムとその構造について:を参照

SE(NRIのような顧客向かいがメインなSIer)はクライアントの個社用のシステムを作っているので、業務にどのような影響があるか、を深く知っていなければなりません。NRIでやっていた金融系のプロジェクトでは、金融の業界知識がないと顧客の求める仕様もわかりませんし、個社用のシステムは構築できないため、業務知識や管理にパワーが割かれます。既に構築された構造を変えにくいシステムを運用するには、管理にフォーカスして業務の影響がないようにコントロールすることがメインになります。新規構築だったとしても構造を考えるプロジェクトにはなりますが、NRI社員だけだと単純に人手がたりないのでパートナーさんに仕事をお願いすることになります。パートナーさんのタスクや品質の管理業務も業務の大きな割合を占め、構造ばかりを考えることは割合として少なくなります。

社内を見てみても自身でプログラミングをしている人とか新技術の話をしている人はマイノリティでした。(当初私がジーズアカデミーで習った浅めな情報を話しても知らない人が多数でした。)技術ぽい人は少数でした。

WebエンジニアはtoB系だと業務知識は少なからず必要になるかとは思いますが、LTなどの界隈をみても技術志向のエンジニアのLT内容は、新しいフレームワークだとか、JavaScriptの仕様が新しくでたとか、k8sの新しいアーキテクチャだとか、Google Cloud Platform の使い方だとか先進的な技術をSIerよりは積極的に取り入れ、しかも自分で実装しているように見えました。そんな話を聞くたびにこのような「構造」「処理」をメインに語れるエンジニアがとてもかっこいいとワクワクしたことを覚えています。

Webエンジニアになると決意する

Web業界のWebエンジニアのロールモデルに憧れた私は下記の結論に至ります。

  • 「プロジェクトマネージャとして業務や管理をメインに語れるロールモデル」よりも、
  • 「webエンジニアとして構造と処理をメインに語れるロールモデル

を目指そう。

入社当初はSIerとして技術を理解しているコンサルタントとして働きたいと思っていたのですが、情報技術は思いの外深く、より技術を語る道にのめり込んでいきました。情報技術を知れば知るほど、ITも知ってて経営を進められる人材から、技術特化の方向にグラデーション的に意識が傾いていきました。

5. (考察)本当にやりたかったことを判断する切り口

前章までWebエンジニアを目指す経緯まで述べました。ここからは考察となります。辞めると決断するにあたり2つの切り口が大きな判断材料となりましたのでご参考までに読んでいただければと思います。

人が組織(会社)に属し続けたいと思う基準

やめようか悩んでいる時にtwitterを眺めていたら、会社に属し続ける基準についてのツイートを見つけました。下記の3点の内2点に魅力があれば人は会社に居続けやすい、ということを見て、納得感が強かったことを覚えています。

  • 仕事

私の場合は人と仕事が魅力がなくなってしまったと思っています。言い換えると、魅力というよりも上記の点が自分のイメージとミスマッチすると、辞めやすいとなるかと思います。

△人: はじめは情報理系出身の院生だとか、上級のSEの方だとか、優秀でITについて詳しかったですし、追いつけないんじゃないかと思っていました。ただ3年も4年も勉強を続けていると、ある分野では「あれ?私のほうが詳しいな。」と思うようになってきてしまった点が要因としてあります。 また、私の年代以上になってしまうと社内ではプロジェクトマネージャーのロールモデルを目指し始めるので、技術寄りのロールモデルが見つかりにくかったこともミスマッチになってしまった大きな要因かと思います。

△仕事: これは前の章までで述べたように構造を考えることが業務内容として少なくなっていったため、Webエンジニアとして処理と構造をメインに考える仕事に付きたかった、となります。

◎金: これは魅力的でありましたし、最後まで後ろ髪をひかれてました笑 このまま行けば普通に給料も上がっていきますし、正直高給取りとして裕福な生活も手に入れられました。

30歳という年齢

お金に後ろ髪をひかれながらも最後に退職の決め手になったのは、30歳という年齢です。 実は社内でも「処理と構造を考えるロールモデル」をずっと探したのですが、異動するコストや時期もありますし、異動したところで本当にやりたいロールモデルが見つかるのか難しいのではと判断しました。 また、転職市場を調査(エージェント、wantedlyでカジュアル面談、人材業界関連の友人と相談)してみました。今までプログラミングの業務経験のない私はWebエンジニアとしてレーンチェンジするにはかなりギリギリのライン(転職市場では不利)であることがわかりました。私の業務経験からするとコンサルタントやマネージャー職としては需要があるものの、Webエンジニアでゴリゴリプログラミングするというのは需要は相対的に少なかったです。

30代目前にしてここでほんとうにやりたいことをやらないとまた2・3年後も同じようなことで悩む、というG's academy時代の恩師の言葉もあり、年収がたとえ半分とかになってもやりたいことをやろうと決心します。目指したかった処理と構造を考えられるエンジニアになるにはレーンチェンジは今しかないと思い、退職の決断をします。

※この時はまだ転職先を決めておらず、退職を先にすることになりますが、その奮闘は後半で書くことにしたいと思います。

まとめ

長めのエントリを読んで頂きありがとうございました。最後に今回の内容を簡単にメッセージとしてまとめたいと思います。

  • 自分がどのような姿になりたいかというのは、経験を積む中で少しずつ解像度が上がっていく
  • なりたい姿ややりたいことの違和感はずっと残るので違和感は早めに解消したほうが良い
  • 30歳という年齢付近で決断が人生を大きく左右する



次回について

前編にて転職を決意した私ですが、その後を 中編 に記載したいと思います。 そして私は何をおもったのか、転職先を見つける前に先にNRIを辞めてしまいます。それが吉と出るか凶とでるのか。転職してプレイドに入るまでどのような転職活動を行ったのかを、次回は綴っていきたいと思います。


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